人は、自分が正しいと思っていることしか
言葉にしないし、主張しない。
なぜなら人は、自分の思っていることが
間違っているとわかっているなら、
それをわざわざ人に言うことはしないから。
あなたが正しいと思うことは何でしょうか?
あなたが正しくないと思う時は、
どんな時でしょうか?
『自分がそう思う』というだけなら、
それが正しいのか間違っているのかは
知ることができません。
でも『本当に正しいこと』なんて
どうしたら分かるのでしょうか?
自分が正しいと思っているだけでなくて、
本当に正しいことだということは
どうしたらわかるのでしょうか?
世の中のすべての人の主張は
どんなものも『自分だけのモノサシ』で
判断されているのではないでしょうか?
さまざまな自由な思考の持ち主たちが
それぞれのモノサシで比較検討したところで、
正しいとか間違っているとかの
『本当のところの真実』は分かるものなのでしょうか?
お互いにバラバラな計測値のモノサシで
お互いを計りあって、分かり合ったり、
ぶつかり合ったり、憎しみあっている状況を
あなたは不思議に感じないでしょうか?
それって、正しい判断の仕方なのでしょうか?
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さて…
『生きていることはつまらないことでしょうか?』
それとも
『生きていることは素晴らしいことでしょうか?』
けれどそう『思う』前に、『考え』なければ。
『生きているとは、そもそも
どういうことなのでしょうか?』の謎を。
産まれて、いろいろ感じて、息をして、
自分の意思で体を動かして、
自分の無意識下で体が動いていて、
やがて死ぬという、とんでもない不思議を。
あなたがあなたなのは、なぜなのか?
なぜこの世界に存在しているのか?
という、とんでもない不思議を。
人生はつまらないか、素晴らしいか?
これに対する私の答えは、
この不思議な謎を追求してから
どちらが正しいのか、間違っているのか
判断することにしましょう。
『当たり前』のことを『当たり前』のものとして、
わからないものをわからないままにして、
『考える』ということをしないなら、
きちんとした判断はできないから。
誰にとっても共通している
『当たり前という謎』を解こうとすることこそが
『私が本当に生きるということ』