森野すずの気づきlog

人生の春の記録。

父の自殺と、親の役割

なぜ親のことについて私が深く考えたいかというと

自殺した父親の存在の意味合いを

私の中で上手く言語化できていないから。

 

前に投稿した

【この体を私だ、と思っている

   その自分ってなんだろう】の記事で理解したように

 

肉体に宿っていても、そうでなくても存在する

『もともとの自分』は

『両親』と呼ばれる2人から生まれた訳ではない。

 

彼らが2人で作った肉体という器に

どこからかやってきた私という魂を宿す、

という役割を担った彼らは

私の本当の親(魂の親)ではないけれど

 

でもじゃあ何故、わざわざその2人の元に

私はやってきたんだろう?

 

私には、

何かとっておきの理由があるとしか思えないのです。

 

それを知るために日々、

父のこと、命のこと、生きることを

考察、哲学していると言っても過言ではありません。

 

『ご縁』あって出会い、今も影響を受け続けている。

 

ものすごい不思議と奇跡が私に起きている。

 

私が固執して哲学し続けてきた

自ら『肉体』と『魂』を引き剥がした父親のこと。

 

20年経った今でも

彼は私に何を教えるために私をこの世に呼び出し、

13年を共に過ごし

そして自ら命を断ったのだろう?

その納得できるものを得たい。

 

そのとっておきの理由を知りたいのです。

 

✎︎____________ 

 

動物と、人間とでは親の役割は違う

と私は考えています。

 

人間も動物とは言われるけれど、

世界の根源や、その本質を見極めたいと考えたり、

知的探究的な取組みをするのは人間だけなので

そこは事実として大きく違うと思う。

 

 

動物の目的は『命を全うすること』

 

とすれば、動物の親たちの役割とは

産んだ子どもが独り立ちできるまで

まずは危険から守り、ご飯を与え、

自ら食料を確保できるよう教えること。

 

独り立ちできる頃合になったら手を出さず、

むしろ突き放して自立を促します。

 

人間は

生物学的な側面の部分は動物と変わらないけれど、

 

『生命として、どう生きるか?』

『人生の真実とはなんなのか』といった

【意味づけ】を死ぬまで考え続ける習性の生き物。

 

なので、人間の親は

生物学的な側面だけを全うしただけでは

どこか物足りなく感じるのではないでしょうか?

 

そもそも『人生の真実とはなんだろう?』

と深くまで考えたことがない、

生物学的な段階で終わらせる親もいるけれど、

 

人生の真実とは何かを

『言葉で伝えられる』のは人間だけなので

実に勿体ないと思ってしまう。

 

言葉と精神性を持つ人間の親の役割は

【こうなれば、こうなる。だからこうする】という

現象とその対処法を教えるだけでなく、

 

子どもがその後の人生を強く生き抜けるための

『人生の真実を見出すために、

   どうやって考えていくか?』

を教えることなんじゃないかな、と思う。

 

また『そのきっかけをつくること』

そのひとつなんじゃないだろうか?

 

考えなければ、逆に苦しい。

 

考えることができれば、

コントロールのできない感情に屈せず生きられる。

 

考え抜いて、

生きることが楽になることはとても多い。

だからこそ。

 

『人間としての独り立ち』とは

親の言う通りに生きて生命を維持する事ではなくて

 

親から与えられた『親が言う人生の真実』を、

どうしてそういう答えを出したのか?

自分で考えて判断することができるようになること

なんじゃないだろうか?

 

それが

子供が親から学ぶことができる人生の真実。

 

✎︎____________

 

私の父親が見出した人生の真実とは

何だったのだろう?

 

真実を見出す前に、感情を上手く扱えず苦しくて

肉体と魂を切り離してしまったのか。

 

それともその真実が

あまりにも辛いものだったのか。

 

それはもう、肉体から離れてしまった彼からは

聴くことはできないので知る由もないけれど。

 

何にせよ、今回親の役割を考えてみて、

『父の行動は

私が命について哲学するきっかけを作ってくれた』

という事実に感謝をしようと思った。

 

そこから得られる副産物は

『人生の深みが増す』ことだ。

 

これほど愉しく人生を謳歌する方法は

他にないんじゃないだろうか?

 

命の不思議、ご縁の不思議。

 

彼の自殺という現象が自らに振りかからなければ

こんなに深く知的探求をすることは

無かったかもしれない。

 

私は父の死がきっかけとなって、

このブログを開設して

様々な人生の真実を見出そうとしているけれど、

それはこれからも続けていきたいと思う。

 

私の父は親の役割をしっかりと全うし、

人間として未熟な私を独り立ちさせようと

今も働きかけてくれている。

 

なんて立派な親だろう。

 

自らの命と引き換えに

私が命の事をしっかりと考えるきっかけを

作ってくれたのか。

 

私が彼のもとに産まれた

とっておきの理由は確実にこれだ。

 

やっと止まっていた時間が動き出しそうだよ。

 

 

ありがとう、お父さん。

 

20年越しの、13歳の娘より。