森野すずの気づきlog

人生の春の記録。

自分を護りながら生きるために

『こころ』

 

心はいつも自分と一緒にいる。

 

産まれてから、死ぬまで離れられない

言うなれば、自分の一番の相棒だ。

 

その相棒と常に上手くやっていけるのなら、

人生は順風満帆。

 

『誰と一緒に生きるかが

                人生のしあわせを左右する』

とよく言われるように、

自分の機嫌を悪くする相棒とは

誰でも一緒にいたくないはず。

 

知らない人も多いけれど、

『自分』だと常に思っている『心』は

2つに分かれてる。

 

ひとつは《感情》

もうひとつは《精神》

 

感情は

ありのまま自分の中に湧き出てくる感覚で

常に移り変わっていく、

自分でもコントロールができないもの。

 

精神は

湧き出てきた感覚を第三者目線で観察したり、

考察したりと

ある一定の場所から動かずに自分を眺めているもの。

 

『精神』があるからこそ、

むやみやたらに感情に流されず

人に迷惑をかける行動や

誰かを傷つける発言を控えることができたり、

 

たとえば劣等感まみれの自分の性質を

意志によって変化させたりもできる。

 

生きやすさの本質は

『精神』をどう扱うかにある。

 

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『感情』と『精神』

この2つを合わせて心と呼ぶならば、

 

その時の感情に任せて生きることは、単純に

『自分の心を大切に扱っていない』ことになるし、

 

精神をおざなりにして生きることは

『自分の心をネグレクト(育児放棄)している』

という事になる。

 

自分を虐待しながら生きるなんて

私は絶対に嫌だ。

 

とんでもない相棒だ。

一緒にいて心地良いはずが無い。

 

これは仏教用語で言うところの

『餓鬼』にも通じるとふと思った。

 

餓鬼のままでは

いつまでも心の乾きは癒されない。

 

自分の乾きの原因が

『精神性を高めようとしていない事』または、

 

『精神性を高めている途中だから』

と知らないままに生き続けていたら、

性格が歪んでも仕方がないように思う。

 

逆にこの2つの心を

しっかりコントロールできる精神性の高い人を

『大人』と呼ぶのが相応しいのかもしれない。

 

だから大人になるって大変なことだ。

 

一筋縄じゃいかないし、何十年もかかる。

 

最悪、餓鬼が餓鬼を育てることになってしまえば

精神性の低い魂で世の中が溢れてしまう。

 

こんなに悲しい連鎖はないように思う。

 

私はまだ餓鬼で、

納得できるまで精神性を高められていない。

 

そんなこともあって

自分が子供を育てるなんて畏れ多くてできない

と思ってる。

 

本当はそんなこと関係ないし、

私の思い込みかもしれないけれど。

 

極端な話、人類の繁栄か、精神性

あなたはどちらを優先させるかと言われたら、

私は精神性の高い魂を育てることを優先する。

 

✎︎____________

 

『感情』か『精神』か

どちらの相棒と一緒に生きるかの比率で

人生はまるっきり変わる。

 

もちろん

明るい感情も、暗い感情も最高の相棒だし、

 

無くしてしまったらそれこそ刺激の全く無い

無味無臭な人生になるから私はごめんだ。

 

コントロールできない感情を楽しみつつ、

私は『精神性の高い心』と一緒に生きたいな。

 

そのための努力は惜しみたくない。

 

そして、精神性の高い人の魂と

たくさん話をしたり、呼応し合いたい。

 

この体が動かなくなるまで、

私はそうやって生涯を愉しもうと思うのです。

 

あなたはどうですか?