森野すずの気づきlog

人生の春の記録。

『生きている』の謎

誰もが体験している『生きている』という状態。

 

でも私たちは『死』とは何かを

本当のところまったく知らない。

 

一般的な『死』とは『肉体の死』のことだけれども

 

『肉体の死=体が動かなくなった状態』になっても

体をたんなる器として使っていただけの

『もともとの自分』に死は無いとしたら、

 

つまり『本当の死』というものを知らないとしたら

私の思っている『生きている』とは

いったい何を言っていることになるのだろう?

 

たとえば誰かを殺してしまったとして、

殺しても実はその人は『死なない』としたら

ぞっとしないだろうか?

 

その人はどこにいるのだろうか?

 

✎︎____________

 

私は気づいたら『私』だった。

 

いつの間にか、今の体に宿っていた。

 

『心臓を止めてください』

と言われても私は自分の意思で止められない。

 

自分の意思にまったく関わらずに動いている細胞を

本当に『自分のもの』だと言い張れるだろうか?

 

複雑怪奇なこの体の構造を

私は自分で創り出したわけじゃない。

 

『人間の力では到底創り出せない圧倒的な自然』を

私たちは大昔から畏怖してきたけれど、

一番身近な『自然』は、この肉体だとしたら?

 

そもそも自分の体を

細胞レベルで自分の思い通りにできない時点で

私は『自分を自分の力で生かしている』と

言えるだろうか?

 

じゃあ何が私を動かしているんだろう?

 

『生きている』って、果たしてなんだろう?

 

『生きている』のは、つまらないことだろうか?

 

それとも『生きている』というのは、

素晴らしいことだろうか?