森野すずの気づきlog

人生の春の記録。

人生つまらないと思ってしまう時

人生をつまらないと『思う』

 

人生を素晴らしいと『思う』

 

自分が『どう思うか』によって

人生は大きく変化する。

 

そんなの言われてみれば『当たり前』なんだけれど

どうやらこの事に気づいていない人も多いみたい。

 

『人生はあなた次第』

そういうことを聞いただけで、

そんなの分かってます、と嫌気がさしたりもする。

 

それってなぜだろう?

 

育てられた親や生い立ちのせいにしたり、

今いる環境の不満な側面を理由に

人生が自分の思考次第で変化する事実を

気付かないふりをしたりするのはなぜだろう?

 

自分の責任として背負いたくない気持ちが働くのは

なぜだろう?

 

✎︎____________

 

人生をつまらないと『思う』

 

人生を素晴らしいと『思う』

 

この『思う』というのは

誰にも踏み荒らされない自分だけの宝物で、

 

本当は自分の意思は『誰にも邪魔されない』

ということを忘れている人もたくさんいる。

 

傷つくような言葉を言われたとしても、

その言葉で『傷ついた』とするのは

あくまで自分次第で、

 

物理的でない限り、精神的な自分を

他人は傷つけることはできない。

 

このことを知っていることは

一生涯、生き抜いていかなければならない

精神を持つ人間という生命体にとって

外すことのできない重要な事実だと思う。

 

繊細で内向的な私は

20代の後半でこのことを知って、

だいぶ生きやすくなった。

 

たとえば水面に雫が落ちた時、

その波紋に影響されずに

客観的にその状況を見ることができるように

 

自分を取り巻く人間関係、

所属している環境などで起こる色々な出来事さえ、

自分の感情にいれずに大局的に観ることができる。

 

これは世界の歴史(人類の歴史)を学ぶときにも

とても役に立つ。

 

人類の歴史を学べは学ぶほど、その愚かさを知って

私は『人類って生きている価値ないんじゃないか』

と感情的になってしまったことがあったから。

 

『悩む(ただ感じている)』のではなくて、

『考える』ようにする。

 

それって、冷静な判断ができるということだ。

 

これは、自分に与えられる、

あらゆる『謎』を解く時に

とても大切になってくるはず。

 

たとえば

【生きていることは、つまらないことなのか?】

 

けれど、そもそも生きているということは

『どういうことなのか』

 

それをわかっていなければ、

その答えを出すことはできない。

 

《生きているとはどういうことなのか?》

 

あなたは、どう答えるでしょうか?

 

悩むから、一歩進んで考えてみる。

 

私は、この大切な自分の質問にどう答えるだろう?

 

それをこれから書き残していこうと思う。