2022-03-18 『親』について思うこと 人生の謎解きシリーズ 心の機敏や、考えていること、痛み、悩み、喜び。 他人のそれら総てを知ることはできない。 その意味では『家族』も 当然ながら『他人』ということになる。 『縁ある他人』が寄り集まったできた数人の その関係性を『家族』と呼ぶわけだけれど、 なぜ自分にその『縁』が巡ってきたのかは 本当に不思議だし、奇跡のようなものを感じる。 何を学ぶためにその家族のなかに わざわざ産まれたのだろう? ✎︎____________ 自分を産んだ瞬間にあの彼は父親に、 あの彼女は母親というものになった訳だけれど 例えば魂のカタログのような物があって どんな子にしようか?なんて感じで選択をして 承知の上で産んだわけじゃない。 彼らにとっても どんな魂の子どもが産まれるか? なんて選べないので、そう思うと そのリスクを冒してまで産もうと決めた2人には 尊敬しかない。 しかも自分のこれまでの人生を方向転換してまで、 自分の時間と体力を自分以外の存在に注いでまで 育て続けることを決意した2人には、 臆病者の私にとっては驚きしかない。 『親になろう』 =『魂を宿す肉体を作り出し、 その肉体と精神が成熟するまで見届ける』 と決意した人間を私は心から尊敬する。 私には到底できない。 その責任を背負うことが重すぎて耐えられない。 私はまだ 自ら進んで魂を呼び出してまで育てた子どもに 『親という役割の人間が伝えなければならない 人生の真実』を見い出せていないし、 納得できる答えも確立しきれておらず、 子どもに伝える段階まで到達すらできていないので 命を生み出すなんて恐れ多くてできない。 それが、私が結婚も出産も踏みとどまっている 最大の理由だけれど、 どこまで素晴らしい哲学者になったら そんな大それたことをできるようになるのだろう。 親になろうとする人は、本当に凄いと思う。 次回は その『親の役割』について深く考えてみよう。 何か閃くかもしれない。