森野すずの気づきlog

人生の春の記録。

『親』について思うこと

 心の機敏や、考えていること、痛み、悩み、喜び。

 

他人のそれら総てを知ることはできない。

 

その意味では『家族』も

当然ながら『他人』ということになる。

 

『縁ある他人』が寄り集まったできた数人の

その関係性を『家族』と呼ぶわけだけれど、

 

なぜ自分にその『縁』が巡ってきたのかは

本当に不思議だし、奇跡のようなものを感じる。

 

何を学ぶためにその家族のなかに

わざわざ産まれたのだろう?

 

✎︎____________

 

自分を産んだ瞬間にあの彼は父親に、

あの彼女は母親というものになった訳だけれど

 

例えば魂のカタログのような物があって

どんな子にしようか?なんて感じで選択をして

承知の上で産んだわけじゃない。

 

彼らにとっても

どんな魂の子どもが産まれるか?

なんて選べないので、そう思うと

そのリスクを冒してまで産もうと決めた2人には

尊敬しかない。

 

しかも自分のこれまでの人生を方向転換してまで、

自分の時間と体力を自分以外の存在に注いでまで

育て続けることを決意した2人には、

臆病者の私にとっては驚きしかない。

 

『親になろう』

=『魂を宿す肉体を作り出し、

     その肉体と精神が成熟するまで見届ける』

と決意した人間を私は心から尊敬する。

 

私には到底できない。

その責任を背負うことが重すぎて耐えられない。

 

私はまだ

自ら進んで魂を呼び出してまで育てた子どもに

 

『親という役割の人間が伝えなければならない

    人生の真実』を見い出せていないし、

 

納得できる答えも確立しきれておらず、

子どもに伝える段階まで到達すらできていないので

命を生み出すなんて恐れ多くてできない。

 

それが、私が結婚も出産も踏みとどまっている

最大の理由だけれど、

どこまで素晴らしい哲学者になったら

そんな大それたことをできるようになるのだろう。

 

親になろうとする人は、本当に凄いと思う。

 

次回は

その『親の役割』について深く考えてみよう。

 

何か閃くかもしれない。