森野すずの気づきlog

人生の春の記録。

この体を私だ、と思っているその自分ってなんだろう

自分の名前を親から教えられた時

 

自分のことを名前じゃなくて

『私』とか『僕』とか『俺』と呼びなさい

と躾られた時

 

その『名前』や『代名詞』が『自分』だという

揺るぎない思考を植え付けられるけれど、

 

私たちは物心つく前、

つまりオトナたちに色々教え込まれる前には

ただ『自分は自分である』という感覚のなかで

生きてた。

 

『名前よりも先にあるもの』を感じて生きていた。

 

自然が作り出した物質や

人が作り出した物質とは全く違う存在として。

 

この世界に存在している自分と呼んでいるものは

本質的には、名前でも代名詞でもない。

 

自分というのは

『この体』のことでもなければ

『脳という器官』のことでもない。

 

細胞の働きがストップして体が死んだら、

私は『物理的には死ぬ』けれど

 

この体が『もともとの自分』じゃなく、

『ただの器』に過ぎないとしたら

体が死んでも私は《死なない》。

 

私が、あなたが毎日やっているその自分とは、

本当は何でしょうか?